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飛天

平成24年 「JUMP THE FRONTIER~限界を超えて~」


飛天
(平成24年度事業発展計画書より)


 「平成23年3月30日午前7時1分、マリンフード㈱名誉相談役吉村百合子様が、満90歳の生涯を閉じられました。
 百合子様は大正10年2月21日広島県福山市に誕生、幼少の頃より日本舞踊に親しみ、天才少女とその名を知られ、その道に進む為来阪し、のちに人間国宝になられた『八代目坂東三津五郎師』最後の直弟子として入門、日本舞踊に精進されました。
 戦後の昭和23年、栄吉様(マリンフード創立者)と結婚後は家庭を守り、時にはご主人の長唄の師匠をつとめるなど内助の功を尽くされ、昭和32年3月ミルクマリン㈱(現マリンフード㈱)設立後は文字通り二人三脚で事業に邁進され、今日の礎を築かれました。
 昭和55年ご主人亡き後、若くして新社長に就任された長男直樹様を、監査役、会長、名誉相談役としてバックアップして来られました。
 尚、直樹社長が今日社長職にあるのは、北海道で明日をも知れぬ無頼の生活をされていた直樹様を、百合子様が大阪へ連れて来られ、一貫して支えて来られた賜であります。
 生涯日本舞踊と日本酒をこよなく愛し、晩酌ではコップ2、3杯の冷酒を欠かす事は無く、またお客様や社員との宴席では80歳過ぎまで日本舞踊を楽しまれました。
 90歳の生涯を精一杯生きて来られた百合子様は『もう充分生きて来た。いつお迎えが来ても満足です』と晩年口癖とされ、直樹社長に依頼し、『月祥院釈尼恵百大姉』の法名を受けられました。
 今は唯在りし日を偲び、その遺徳を思い哀悼の誠を捧げてここにお別れ申し上げます。
 どうか、社業の益々の発展と人々のお幸せを見守り私達をお導き下さい」
(故吉村百合子名誉相談役葬儀ナレーションより)

 「来年(平成24年)マリンフード㈱は創立55周年を迎えます。創立30年、50年、100年と言ったような派手で賑々しい周年行事という訳ではありませんが、最近のスピード感あるご時世では5年と言えども世の移り変わりは馬鹿に出来ません。
 今年(平成23年)の年初めからプロジェクトチームを作ってあれこれ検討を重ねてきましたが、その一つにCI活動による新ロゴの作成がありました。
 実は30年も前から一日も早く新しいロゴを作りたいと念じて来たのですが、中々時機を得ず今日までそのままで来てしまいました。
 そろそろやっておかないと、流石に私も60歳を過ぎ、どうなるか解らない年回りに至ったことでもあり、決断した次第です。プロのデザイン事務所に依頼するのも一法ですが、今回は公募と決めました。たった一ヵ月の短い期間で一体何件の応募があるかヒヤヒヤものだったのですが、締めてみますと、海外11件を含めて北は北海道から南は沖縄まで2,258件の応募がありました。結果は埼玉県のプロデザイナー長澤理さんが見事大賞、他4件の佳作を得ました。この便箋のマークがそれです。御笑覧下さい」
(平成23年々末の社長挨拶文より)


 400年前のスペインの作家セルバンテスが書いた『ドン・キホーテ』という作品がある。痩馬にまたがり、騎士道を信じ、風車に向って突進するドン・キホーテの物語が語り伝えられるのは、その夢が非常識なものであるにもかかわらず、あくまで美しいからである。600年前、世阿弥は『花伝の書』を著わし「舞は能を源としているが、その舞には花がなければならない」と伝えている。6代目尾上菊五郎は、生涯踊り続けた人生の最後に及んでなお「まだ足りぬ、踊り踊りてあの世まで」と辞世の句を詠んだ。

「人間は誰でも本来、何事をも、自分が深く思い考えた通りに成すことが出来る。自分がもし出来ないと思えば何事も出来ないし、出来ると信念すれば、何事もなすことが出来る。つまり、すべてが、自分が自分自身に課した信念のとおりになる」
(中村天風「成功の実現」)


 徒手空拳で売上高6,855億円、税引利益500億円超のモーターメーカー日本電産の永守重信社長の場合。
 2003年3月期最終損益マイナス104億円の三協精機を同年8月に買収。1年半後の2005年3月期の営業利益は80億円の黒字。やったこと①材料費20%削減②1億円の売上げに要する一般経費1,000万円→500万円以下に削減③その他。更に2011年3月期まで3期連続営業赤字の三洋精密を同年7月に買収。7~9月から即座に黒字に転換。

 瀕死のルノー、日産自動車を再生させたレバノン系ブラジル人で45歳(当時)カルロス・ゴーンの場合。
 1999年6月日産自動車の社長に就任。10月リバイバルプラン発表。必達目標①2001年3月31日までに黒字化を達成②2003年3月31日までに営業利益率4.5%以上を達成③2003年3月31日までに有利子負債1兆4,000億円を7,000億円に削減。
 成果①2001年3月31日までに税引利益3,100億円を達成②売上高営業利益率4.75%達成③負債額を9,530億円に削減。
 現在日産自動車は国内最強の自動車メーカーかも知れない。「日産リバイバルプラン(NRP)は、知り得る限り日産の歴史始まって以来、最高の財務実績をもたらしました。日産は復活したのです。私たちはみずから成し遂げた成果に刺激され、さらに前進しようとしています」

 P&G再生の功労者、元会長兼CEOのアラン・ラフリーは言う(2004年)。
 「約160ヶ国、25億人の消費者がP&Gブランドを少なくとも1つは使っています。また、世界中の消費者がP&Gの製品を使っている回数は、1日に約20億回と見られます。世界人口は約65億人。その中から我々の消費者を40~45億人まで増やすことは可能です。彼らは自動車を買えなくても廉価なスキンケア用品や家庭用品なら購入できる。彼らにいち早く近づき、P&Gの製品の良さをアピールしていきたいですね。
 ブランドは『消費者との約束』と考えています。トレードマークは『トラスト(信頼)マーク』でなければなりません。......P&Gほど人材の多用性に富む企業はないと思います。経営幹部には、ギリシャ、ドイツ、コロンビア、インド、イタリア、フランスなどの国籍の人がいます。日本のトップは(当時)インド人です。その前はドイツ人でその前は米国人でした。中国の現在のトップはイタリア人女性、その前はフランス人、さらにその前はギリシャ人でした。世界中から適任者を選びます」

 日露戦争の日本海海戦勝利の作戦参謀秋山真之は起草する。
『百発百中の一砲、能く百発一中の敵砲百門に対抗しうるを覚うば、我々軍人は主として武力を形而上に求めざるべかざる。惟うに武人の一生は連綿不断の戦争にして、事有れば武力を発揮し、事無ければこれを修養し、終始一貫その本分を尽さんのみ。......神明はただ平素の鍛練に努め戦わずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平安ずる者よりただちにこれをうばう。古人曰く、勝って兜の緒を締めよ、と』

 事業の繁栄発展の究極は、たった二つのコンセプトから成り立っている。
 一つは成長拡大させること。もう一つは安定させることである。この二つの哲理を同時に戦略課題とし、実行して、はじめて繁栄発展が起こる。二つのうち、どちらかの一つが欠けても事業の繁栄発展はあり得ない。

 マリンフードに6つの「企業の道」がある。
 Ⅰ.本業
 Ⅱ.成長拡大
 Ⅲ.創造
 Ⅳ.リエンジニアリング
 Ⅴ.発信
 Ⅵ.共感=共生

 マリンフードに4つの「大方針」がある。
 1.コア・コンピタンス(核の力)
 2.カスタマー・フォーカス(お客様第一主義)
 3.スピード(早さ)
 4.マネジメント・バイ・ワンダリング・アラウンド(経営は歩き回りながら)

 『成長拡大』とは、どんなに経済環境が悪化していても、前年よりもお客様の数を増やすことだ。付加価値の高い新製品を開発し、お客様に新鮮な驚きを与え、数多く買って頂くことである。私達はお客様を増やすために、新規訪問をくり返し、商品説明会を行い、工場見学に来社願い、同業他社の製品を、サービスを調べ、我社の製品のサービス向上に努め、お客様が感動する新製品を開発し、改善をくり返して生産効率を上げ、他社と全ゆる方向で優位の差別化を目指さなければ拡大できない。
 『安定』とは、自分の会社で売っているものが、商品であっても、サービスであっても、形があっても無くても、その売りものを、同じお客様が、くり返し、くり返し、くり返し買っていただくことである。これ以外の安定はない。だからこそ、私達は徹底的にお客様第一主義を貫き、定期訪問を欠かさず、人間性を可愛がって頂き、品質を高め、正確な納品に努め、同じお客様が、くり返し発注される要素を、他社よりはるかに秀でたものにすることこそが、安定の大テーマである。

 私達は、宇宙の悠久の歴史の中で、全くの偶然に、運命の悪戯から、同時代に生まれ、マリンフードに働いている。食品ビジネスに従事している。
 私達の携っている食品ビジネスは、バブル経済はもとより、家電、電子業界や、情報、通信、自動車、アパレル、住宅産業と比べても、限りなく地道でローテク、保守的な産業だ。おふくろの味つけを好む性向は、かって食べたことのない食品の出現を阻み、ファッションや趣味に比べて、生涯最も変わることのない嗜好性だと言われている。しかし、ひとたびお客様に我社の商品を注文していただければ、それを縁に何回でも幾年も変わらぬお取引をして頂ける。実に恵まれた事業でもある。
 環境の激変に耐え、激しい競争に生き残り、目標にチャレンジし、売上や利益が順調であり続ける事ほど企業やその社員にとって幸福なことはない。そんな会社を、未来につながるナイスカンパニー、エクセレントカンパニーを創り上げることが出来れば、その原動力となることが出来れば、偶然に入った会社、偶然に出会った運命の中で、一回きりの私達の人生が、どんなに輝いたものになるだろう。

 今年で事業発展計画発表会は26回を数える。この間の成果は、まるで遅々とだらだら坂を登る歩みであった。私の好きな言葉、「都会の牛」のように。そして今年、我々は新しいロゴと新しい標語『JUMP THE FRONTIER~限界を超えて~』を立てて船出した。

JUMP THE FRONTIER


 私は大いなる願望(マリンドリーム)達成に向い、ひたすら精進し、方向を決定し、理念を固め、誠意をもって、情熱あふれる経営を推進することを、天から課せられた使命だと考え、実行する。

平成24年1月28日
取締役社長 吉村直樹