取締役社長 吉村 直樹
一. スティリーノ開発混迷の時44期(平成12年・2000年)の事業計画書の「飛天」である。今年の初出の日の年始式で、一人の社員が"祝い船"の替え歌を作って歌った。
1、今日はマリンの年始式
社員一同集まって"力を合わせて頑張るぞ"
誓い心に今年の船出
どんとこぎ出す マリン丸
2.札幌、仙台、東京支店
名古屋、広島、福岡と"今日は揃って初出の日"
通うところは違っても
心ひとつのマリン丸
3.今は小さいマリンでも
やがてでっかい船になる"事故をなくして頑張って"
仕事よくして幸せつかみ
明日に向かおう マリン丸
二年後、46期(平成14年・2002年)の事業計画書に2作目の替え歌が登場している。"六甲おろし"の替え歌を歌った。
1.豊南東に颯爽と よい仕事でよい生活
繁栄の意気高らかに 無敵のわれ等ぞ
マリンフード オウ オウ オウ オウ
マリンフード フレーフレーフレーフレー
2.泉大津に颯爽と お客様がいちばんと
信条のもと溌剌と 勇往邁進
マリンフード オウ オウ オウ オウ
マリンフード フレーフレーフレーフレー
3.マーガリン チーズ ホットケーキ
鍛えて挑む未開地に
勝利より燃ゆる栄冠は 輝くわれ等ぞ
マリンフード オウ オウ オウ オウ
マリンフード フレーフレーフレーフレー
二. ノンコレ(ノンコレステロールの略)
ノンコレが初めて事業計画書に登場するのは、時代は遡るが、事業計画発表を初めてまだ4回目の第34期(平成2年・1990年)である。
「植物性チーズ イ、5年前に開発した植物性チーズ(商品名ノンコレ)は、その後のナチュラルチーズの国際相場の低下で存在意義が薄れ、当社の生産も皆無に近い状態であったが、今年の2年連続した相場の高騰で、再び脚光を浴びる可能性が高い。ただし植物性チーズ国内No.1のM社製と比べると品質上はるかに見劣りがする。早急に近づけるよう努力を行う。
ロ、ノンコレ配合のシュレッドチーズ(商品名"アメリカンシュレッドチーズ")の価格は据え置きとし、価格戦略商品として拡売をはかる。」
この期では研究部門の方針にも、
「チーズ部門 イ、植物性チーズの品質改良。」
の言葉が見える。尚M社製は『エマリン』と称し、後年知ったことだが、米国シュライバー社との技術提携で誕生した製品であった。最盛期は年間500t生産レベルまで達したようだが、その後設備は処分し、撤退したと聞く。
翌35期の事業計画書である。
「3、植物性チーズ......研究室レベルで植物性チーズの品質改良が進展している。価格志向の強い商品であるが、基礎技術、ノウハウの蓄積とともに、全く新しい商品作りの基礎とする。」
しかし、現実には植物性チーズの生産販売数は限りなく0に近かった。
翌36期の事業計画書である。
「3、その他のチーズ......シュレッドチーズの次に来る商品が何か、プロセスか、植物性か、スライス物か、カマンベールかギフト物か、マリンフードの現状で他社との差別化可能な商品は何か、研究、営業、生産を問わず模索の年とする。」
明らかに試行錯誤、或いは五里霧中と言ったところだろうか。悪戦苦闘している様子が伺われる。スティリーノ開発まで、まだ15年前であるし、誰が現在(2023年)の盛況(年間8000t生産)を想像出来ただろうか。
三. 長い道のり
39期(平成7年・1995年)の事業計画書である。
「小型マーガリン生産量は日本一を誇るが、生産性、歩留など改善が可能で大きな成果を生む努力がほとんど忘れられている。」
「ホットケーキの生産販売量が日本一になったが、生産性は日本一悪い。」
「シュレッドチーズのカッティングの美しさが他社に劣る。クラストのクレーム頻発に営業は絶望している。急ピッチで拡大しているピザ市場の勢いに参加することが出来ない。」
「現在最も売れているメープル付きホットケーキは、これで十分なのだろうか。」
42年の事業計画書である。
「低価格目玉商品はアメリカンシュレッド(植物性チーズ混合品)である。......ノンコレは、M社が同種目の事業から撤退し、原料供給メーカーがなくなった。ブロックでの原料販売をめざす。」
「ノンコレの将来性は高い。現行製品はまだまだ完成品とは言いがたい。物理的特性と化学的特性に分けて改良を続ける。原料売りや家庭用市場(仮称『チーズのようでチーズでない』)に可能性は高い。」
49期の事業計画書である。
「以前生産経験のある植物性チーズ『ノンコレ』の生産をめざし品質のグレードアップにチャレンジする。」
この数年、当社のチーズ生産量は5000tに達している。販売数量は平成6年から11年間連続して伸び続けた。チーズ原料価格の高低はあったものの、ほぼ安定していた。44期から48期まで、事業計画書に『ノンコレ』の言葉は一行もない。49期に久方振りに登場したが、たった一行記載があるだけだ。その一行は原料高騰がもたらしたものだった。更に50期も一行。
「植物性チーズ『ノンコレ』の開発が進んでいない。本年度発表にこぎつける。」
四スティリーノ登場.
51期(平成19年・2007年)もやはり一行記載があるだけ。一方で原料高騰は着実に進行していた。
「オセアニアを中心とする原料チーズ価格は3年前、2年前と上昇の一途を辿ってきた中で1.5倍に高騰。......さらに深刻なのが為替で、ユーロは年明け後、昨年同期と比べ20円近く高くなっている。」
「東京銀座で偶然入った小さな小さな画廊の一枚の絵の前で、私はしばらく時間の経過を忘れて立ち尽くした。そこに今年一年の指針である『火の鳥』の絵があった。」
年が明け、事業計画発表会も終わった2月に、社長が研究部Bチーズ(チーズチーム)全5名を集め宣言した。「ノンコレ開発に集中する。」全5名各々に担当を決め、2週間に一回、週半ばに1時間半程度の社長参加のミーティング開催スケジュールを決めた。開発目標は同年末。チーズ原料の高騰は更に激しさを増していた。後に判明するが、同年の日本のチーズ総消費量は、前年度を15%程下回ることになる。
8月になると製品が姿を現しはじめてきた。試しに目隠しテストを実施すると成績が良い。その時になってネーミングが気になり始めた。厳密に言うと『ノンコレ』は正確ではない。社内募集を募ることにした。短期間で百数十件の候補が集まった。投票を繰り返し、最終10件に絞られ役員会議で社長が「スティリーノ」に決定した。10月であった。ネーミングの提案者は開発メンバーの一人で現生産管理課長の中村大樹。意味はギリシャ語で『未来のチーズ』だった。
つづく