二〇〇八年ロシア・ウクライナ視察団
団長レポート マリンフード株式会社 吉村 直樹
未知との遭遇
ツバメの巣城
理由の一つは、過去一度もこのエリアを訪問していないこと。二つ目は、昨今の食糧原料の高騰や安全を巡る諸問題が続発する中、食糧自給率の低い日本として、世界有数の肥沃な農地を持つウクライナを新たな原料供給地と考えることが可能か。三つ目は躍進するBRICsの最右翼とも見られた現代ロシアの実情確認です。
しかし旅行はスタートから意外な緊張含みとなりました。出発の数日前にウクライナと同じ黒海沿岸の国グルジアとロシアが戦争状態とのニュースが飛び込んで来たのです。今回の旅行代理店であるJTBからの情報、外務省の公式見解を慌ただしく取り寄せた上での出発とならざるを得ませんでした。結果、参加者は無事当初通りの15名でスタートいたしました。
視察レポート
クレムリンの塔
ただ私の実感を少し申し上げれば、まさにこの国々が発展の途上にあるのだなと言うことです。旅程の最後は飛行機の乗り継ぎ時間の合間の3時間のヘルシンキ市内観光でしたが、それまでとは全然違う明るさ、豊かさを感じたのも正直な感想です。ウクライナ農政副大臣や商工会議所会頭との面談では、彼らが日本を遠い豊かな国と憧れている様子も窺われ、遠い国から来た使節団としてテレビインタビューも受けました。日中30℃近いヤルタからモスクワへ降り立つと気温は5℃前後でクレムリンの衛兵の横ではたき火が焚かれていました。以前に比べると随分豊かになりましたと商社の方が話しておられましたが、資源大国ロシアの隆盛はまだ社会の各層には行き渡っていないようでした。
突然のお別れ
さて引き続き、今回の旅行の途次で起きた悲しい出来事を報告しなければなりません。参加者の一人月島食品工業㈱社長で当旅行の副団長でもありました中秋勝彦氏が、なんと急逝されたのです。判明、発見されましたのは旅程6日目の8月30日の朝ヤルタのホテルをチェックアウトし、これからモスクワへ向かおうとする時でした。前夜夕食後8時半頃ホテルに帰館され、自室の洗面所で倒れられたようで、後日、死因は脳出血と知らされました。その前夜ですが、ヤルタ会談が行われた元ニコライ2世の別荘というレストランで夕食を摂りました。4人掛けのテーブルで中秋社長は吉村の隣りに座っておられ、終始明るく快活にワインなども飲まれながら、会社のこと次年度の旅行先のこと(中秋社長が団長に内定していた)を喋っておられ、体調不良の様子は全く見られませんでした。各視察先でも闊達で知識の収得に熱心に取り組んでおられ、特に8月28日のヤルタのワイナリーで気持ち良さそうにワインの試飲を続けておられた姿が脳裏に焼きついて離れません。それだけに団員一同皆唖然として言葉もない状況でしたが、翌モスクワでの夕食前に全員で黙祷を捧げさせて頂きました。ここに団員を代表しましてご遺族や会社の方々に心よりお悔やみ申し上げ、中秋社長のご冥福をお祈り申し上げる次第であります。